翻訳と辞書
Words near each other
・ 天井下り
・ 天井伏図
・ 天井値
・ 天井嘗
・ 天井嘗め
・ 天井川
・ 天井扇
・ 天井抜け
・ 天井板
・ 天井桟敷
天井桟敷 (劇団)
・ 天井桟敷の人々
・ 天井棧敷
・ 天井次夫
・ 天井温度
・ 天井灯
・ 天井画
・ 天井知らず
・ 天井裏
・ 天井関数


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

天井桟敷 (劇団) : ウィキペディア日本語版
天井桟敷 (劇団)[てんじょうさじき]
天井桟敷 (てんじょうさじき)は、かつて日本に存在したアングラ劇団寺山修司主宰で演劇実験室を標榜した演劇グループ。状況劇場唐十郎早稲田小劇場鈴木忠志黒テント佐藤信と並び、アングラ四天王と呼ばれ、1960年代後半から1970年半ばにかけて、小劇場ブームを巻き起こした。
== 概要 ==
天井桟敷という劇団名はマルセル・カルネの映画『Les Enfants du Paradis(邦題:天井桟敷の人々)』に由来するが、寺山曰く、「(好きな演劇を好きなようにやりたいという)おなじ理想を持つなら、地下(アンダーグラウンド)ではなくて、もっと高いところへ自分をおこう、と思って『天井桟敷』と名付けた」〔週刊平凡パンチ、1967年5月29日号、P.38から引用〕。
創立時のメンバーは寺山の他に、九條映子(当時寺山夫人)、高木史子東由多加横尾忠則青目海大沼八重子濃紫式部小島嶺一斉藤秀子支那虎高橋敏昭竹永敬一桃中軒花月萩原朔美林権三郎の全16人〔資料によっては、創立時のメンバーを寺山修司九條映子高木史子東由多加横尾忠則の5人とするものもあるが、『「天井桟敷」創立の人々』と銘打たれた全16人の記念写真が現存しているため、ここではその立場を取る。〕。『書を捨てよ街へ出よう』などの一連の著作により、若者の間で「退学・家出の扇動家」として認識され人気を得ていた寺山が主宰していること、また劇団創立時のメンバー募集の広告が「怪優奇優侏儒巨人美少女等募集」だったことなどから、設立から長い間「一癖も二癖もある退学者や家出者が大半を占める」という異色の劇団になった。後に松田英子やカルメン・マキが加入していることからも、60年代・70年代という時代の先頭を走っていた劇団の勢いがうかがわれる。
旗揚げ公演『青森県のせむし男』の時から「見世物の復権」を謳い、創立3年目の1969年には、日本初のアングラ専用劇場「天井桟敷館」を設立。しかし、設立後まもなく市街劇書簡演劇、観客参加型の演劇が増え始め、またこの頃から、西ドイツを皮切りにアメリカフランスオランダユーゴスラビアなどでも評価を受けるようになり、海外公演(あるいはそれぞれの国の俳優による上演)が増えるようになった。
寺山の他プロジェクトにも密接に関わり、天井桟敷の公演がのちに映画化されることもあった。「百年の孤独」(ガルシア・マルケスの同名作品を下敷きにした舞台作品)はのちにリメイク・改題され、映画『さらば箱舟』(寺山の遺作。死後に公開された)となっている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「天井桟敷 (劇団)」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.